中O【罠に陥る新妻の涼音】 第3話
中O【罠に陥る新妻の涼音】 第3話
第2話
マスターが濡れた手をエプロンで拭きながらカウンターを出てきて涼音の前の席に座った。
〔喧嘩、って、いったいどうしたんです?〕
マスターが静かに訊いた。涼音(すずね)は少しの間ためらったが、このマスターに聞いてもらうのも悪くないかと思った。
八カ月前に結婚した夫の健介は、仕事で帰りが遅くなると何かと理由をつけて実家に帰ってしまう。それも七時頃に電話をかけてくる。ひどい時には留守番電話に「今日は帰れないから。」とだけのメッセージが入っているようなこともある。もっと遅くにかかって来る電話なら、なんとか早く終わらせて帰ろうとしたけれど電車がなくなったとか、そういう姿勢が感じられるのだが、そんな時間ではないのだ。それはそれで気を使ってくれているつもりなのだろうが、淋しくてたまらなくなることもある。
人事の仕事をしている健介にとっては七月と八月は最も忙しい時期らしく、今月はそんなことがしょっちゅうだった。『しかも今週は今日で三日連続なんですよ。』涼音の話を、マスターは相づちを打ちながらほとんど黙って聞いていたが、涼音が話を終えると、〔そう…。僕だったら、こんなきれいな奥さんを一人ぼっちにするなんて、とてもできないけどねえ。〕 と言って、おどけたようにウィンクをしてみせた。
〔まあでも、仕事が忙しい時はしょうがないのかもしれないなあ。僕も昔サラリーマンやってた頃は徹夜なんてこともよくあったし…。彼は無理して頑張っちゃうタイプなんでしょう。〕
『そうなんですよね…。』
〔僕の場合は無理に頑張るのが出来なくって結局辞めちゃったんですけどね。〕
涼音はようやく笑い、それでなんとなく打ち解けてくる。マスターは商売柄なのか聞き上手で、涼音の身の上話のようなことになった。
健介とは女子大を卒業したばかりの頃に友人の紹介で知り合った。一つ歳上の彼の持つ穏やかな雰囲気と静かで優しそうな話し方に魅かれて、交際を始めるまで時間はかからなかった。早い時期に両親にも紹介したのだが、特に母親が健介のことを気に入って、交際一年目くらいから結婚という話も出始めた。「少し早いかもしれないけど結婚してください。」という健介のプロポーズに、涼音もまったく異存はなかった。去年の七月に婚約し、健介の仕事が比較的落ち着いている十二月に式を挙げた。
〔ああ、じゃあ前にご主人と来たのはまだ新婚ほやほやの頃だったんだね。〕
『ええ、そうですね。』
〔たしかテニスのラケット持って。〕
『よく覚えていますね、そうテニスの帰りに寄ったんです。』
〔二人とも上手そうだもんね。〕
『ああ、いえ、主人はまあ上手だと思いますけど、私は好きなだけで…。』
〔休みの日なんかはやっぱりテニス?〕
『そうですね…、主人が行こうってよく言うので…。』
〔共通の趣味があるっていうのはいいね。〕
『ええ…そう思います。』涼音は結婚以来、健介以外の男性と長い会話は久しかった。
〔旅行なんかは?〕聞き上手なマスターに誘導されるように質問をされる。
『結婚してからは温泉に一回だけ行きました。でも主人は体を動かす方が好きみたいで、テニスの方が多いですね。』
〔ああ、あれでしょう、ご主人は学生時代からテニス部とかでやってたんだ。〕
『ええ、まあテニスサークルなんですけど、けっこう強いところだったみたいです。』
そんな会話を続けながら、知らず知らずのうちに涼音はプライベートにかなり立ち入ったことまでマスターに話していた。 第4話へ
2015/02/04
第2話
マスターが濡れた手をエプロンで拭きながらカウンターを出てきて涼音の前の席に座った。
〔喧嘩、って、いったいどうしたんです?〕
マスターが静かに訊いた。涼音(すずね)は少しの間ためらったが、このマスターに聞いてもらうのも悪くないかと思った。
八カ月前に結婚した夫の健介は、仕事で帰りが遅くなると何かと理由をつけて実家に帰ってしまう。それも七時頃に電話をかけてくる。ひどい時には留守番電話に「今日は帰れないから。」とだけのメッセージが入っているようなこともある。もっと遅くにかかって来る電話なら、なんとか早く終わらせて帰ろうとしたけれど電車がなくなったとか、そういう姿勢が感じられるのだが、そんな時間ではないのだ。それはそれで気を使ってくれているつもりなのだろうが、淋しくてたまらなくなることもある。
人事の仕事をしている健介にとっては七月と八月は最も忙しい時期らしく、今月はそんなことがしょっちゅうだった。『しかも今週は今日で三日連続なんですよ。』涼音の話を、マスターは相づちを打ちながらほとんど黙って聞いていたが、涼音が話を終えると、〔そう…。僕だったら、こんなきれいな奥さんを一人ぼっちにするなんて、とてもできないけどねえ。〕 と言って、おどけたようにウィンクをしてみせた。
〔まあでも、仕事が忙しい時はしょうがないのかもしれないなあ。僕も昔サラリーマンやってた頃は徹夜なんてこともよくあったし…。彼は無理して頑張っちゃうタイプなんでしょう。〕
『そうなんですよね…。』
〔僕の場合は無理に頑張るのが出来なくって結局辞めちゃったんですけどね。〕
涼音はようやく笑い、それでなんとなく打ち解けてくる。マスターは商売柄なのか聞き上手で、涼音の身の上話のようなことになった。
健介とは女子大を卒業したばかりの頃に友人の紹介で知り合った。一つ歳上の彼の持つ穏やかな雰囲気と静かで優しそうな話し方に魅かれて、交際を始めるまで時間はかからなかった。早い時期に両親にも紹介したのだが、特に母親が健介のことを気に入って、交際一年目くらいから結婚という話も出始めた。「少し早いかもしれないけど結婚してください。」という健介のプロポーズに、涼音もまったく異存はなかった。去年の七月に婚約し、健介の仕事が比較的落ち着いている十二月に式を挙げた。
〔ああ、じゃあ前にご主人と来たのはまだ新婚ほやほやの頃だったんだね。〕
『ええ、そうですね。』
〔たしかテニスのラケット持って。〕
『よく覚えていますね、そうテニスの帰りに寄ったんです。』
〔二人とも上手そうだもんね。〕
『ああ、いえ、主人はまあ上手だと思いますけど、私は好きなだけで…。』
〔休みの日なんかはやっぱりテニス?〕
『そうですね…、主人が行こうってよく言うので…。』
〔共通の趣味があるっていうのはいいね。〕
『ええ…そう思います。』涼音は結婚以来、健介以外の男性と長い会話は久しかった。
〔旅行なんかは?〕聞き上手なマスターに誘導されるように質問をされる。
『結婚してからは温泉に一回だけ行きました。でも主人は体を動かす方が好きみたいで、テニスの方が多いですね。』
〔ああ、あれでしょう、ご主人は学生時代からテニス部とかでやってたんだ。〕
『ええ、まあテニスサークルなんですけど、けっこう強いところだったみたいです。』
そんな会話を続けながら、知らず知らずのうちに涼音はプライベートにかなり立ち入ったことまでマスターに話していた。 第4話へ
2015/02/04
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