中U【本当は・・・】第1回 〖夫視点①〗
(原題:妻とケンカして、仲直りした話 投稿者:不明 投稿日:2012/02/16)
俺(南野芳隆:みなみの・よしたか:29歳)は幸せ者だ。朝の支度をする恵梨香(えりか)の後ろ姿を見て、つくづくそう思う。我が妻、南野恵梨香(みなみの・えりか:27歳)の今日のいでたちはいつも通りのフォーマルである。濃紺のジャケットを羽織っていてもそのウエストはまるでモデルみたく引き締まっているのがよく分かる。そのくせタイトスカートに包まれたお尻は女性らしさに満ちた魅惑的な曲線を描いている。それが恵梨香の機敏な動きにあわせてひょこひょこと揺れるのを見せられてはたまらない。毎朝後ろから襲いかかってお尻を撫で回したくなる衝動を堪えるのに四苦八苦させられる。《本来なら、俺達は夫婦なのだから堪える必要なんてないはずないのだけど・・・。》
『芳隆、目がスケベになってるよ!』肩越しに振り返って、恵梨香はぴしゃりと言い放つ。うっすらと茶色がかったミディアムヘアがさらりと揺れる。朝から愛しい妻を不機嫌にさせたくない俺としては、素直に「ごめん。」と謝るしかない。
恵梨香曰く『仕事とプライベートを混同するのは不健康。』だそうで、いったんフォーマルスーツに身を包んだら一切そういうことはしない。そういう誓いを結婚当初に立てさせられた。どうやら彼女の中では『たとえ家に居てもスーツを着込んだらもう仕事が始まっている。』という意識らしい。1度だけそれを破って俺が後ろから抱きついてみたら、恵梨香にかなり本気で怒られた。
二人が結婚してから2年と少しです。未だに視線だけで怒られるあたり、どうやら恵梨香はこの誓いを一生続けるつもりのようだ。一度でいいからタイトスカートの上からお尻を撫で回してみたい。そしてスカートの中に手を突っ込んで、黒タイツに包まれたふとももを思いっきりまさぐってみたい。男なら誰しもが抱く衝動だと思うのだけど、どうやらその欲求が満たされることは永遠になさそうだ。
「いただきます。」朝の食卓。2人とも忙しいので、朝はいつも簡単だ。今朝はトーストと夕飯の残りもののサラダ、それとコーヒー。そんなありふれた朝の食事も、妻(南野恵梨香:みなみの・えりか:27歳)と2人でテーブルを挟んで食べるのならば、とたんに何物にも代えがたいご馳走と化す。大げさなようだけど、彼女の顔を眺めていると本気でそう思えてくる。スーツ姿がよく似合う美人系の顔立ち。笑うとすごく柔らかい印象になるのだけれど、無表情で居るときつそうに見られることも多いらしい。実際俺も大学で知り合ったばかりの頃はどことなく近付きがたいものを感じていた。高嶺の花というか、どうせ俺なんかじゃダメだろうと思わせる雰囲気が当時の恵梨香には確かにあった。
『なによ?じっと見て。』
俺の視線に気がついた恵梨香が無表情のまま言ってくる。昔はこんなことにもいちいち慌てたりしたけど、別に怒っているわけじゃないと今なら分かる。
「いや、綺麗だなと思って・・。」
『・・・ば~か。いい加減に飽きないの?』
「飽きないよ。ちっとも。」
『もうバカね・・・早く食べないと遅刻するわよ。』
彼女はくすぐったそうに笑う。そんな一つ一つの仕草がたまらなく愛おしい。こんなふうに根気よく恵梨香を口説き続けた末に今の生活があるわけだ。途中で何度も挫折しそうになったけど、諦めなくてよかったと心から思う。
付き合い始めてから分かったことだけど、なんと恵梨香にとって俺が初めての彼氏だったらしい。初デートもファーストキスも初体験も何から何まで俺が奪って、これからも恵梨香の魅力を独り占めし続ける。そう思うといつも優越感に浸ってしまう。今のところ、スーツ姿でエッチさせてくれないことを除けば結婚生活に何の不満もない。《そろそろ子供を作ってもいいかな》とは思うけど、恵梨香は『今は仕事を休みたくない。』と言うので先送りにしている。今急ぐ必要はどこにも無い。《これから先もずっとこれを続けていくために》と思えば仕事にも張り合いがでるというものだ。
「それじゃあ行ってきます。今日はそんなに遅くならないと思う。」
『いってらっしゃい。私もいつも通りに帰ってこられると思うわ。』
出かける時間は俺のほうが少し早い。いつも通り今夜の予定を言い合って、玄関先で軽く唇を重ねる。仕事とプライベートの線引きにこだわる恵梨香だけど、これだけは許してくれていた。彼女曰く『だって芳隆ったら、キスしてあげないと捨てられた子犬みたいな目をするんだもの。』だそうな。情けない男と言われているようで複雑だが、そのおかげでいってらっしゃいのキスを貰えるのだったら安いものだ。足取りも軽く、俺はいつものルートで駅へと向かった。 第2回に続く
2015/05/13
中U【本当は・・・】第2回 【妻視点①】
夫の芳隆(よしたか)を見送ってから10分ほど経って、戸締まりを確認してからマンションのガレージへと向かう。歩きながら、気付けば指先で唇に触れている。キスの名残を惜しむみたいに。(・・・ふふ)その感触を思い出すだけで、温かいものが心に満ちていく。本当に、自分でも呆れるくらいに芳隆のことが好きだ。ほんの5,6年ほど前までは自分(南野恵梨香:えりか)がこんなふうになるなんて想像も出来なかった。
芳隆と出会う前の私は、ずっとコンプレックスを抱えていた。そんなつもりはないのに、無表情で居るだけでみんなに不機嫌だと思われてしまう。男は寄ってこないし、女友達ともそれが原因で険悪になってしまったこともある。でも芳隆だけは違った。彼は“君の笑った顔が好き”だとか、そんなありふれた言葉は使わなかった。ただ「君の全てが好きだ!」と言ってくれた。
無表情の私も、コンプレックスを抱えた私も、「全部をひっくるめて愛している。」と言ってくれた。その告白を受けた瞬間に、私の一生は決まってしまったのだと思う。《自分を嫌悪していた私を変えてくれた彼(南野芳隆)に、一生ついて行く。それが私の幸せだ。》
《恋人だった頃と同じように今もお互いを名前で呼び合っているのも、私が望んでのことだ。夫婦という形式としてじゃなくて、お互いを愛し合っているから一緒に居るのだといつも実感したいから。子作りをまだしていないのだって、本当の理由は芳隆に言っているのとは別にある。私はまだまだ彼と二人っきりの時間を過ごしたいのだ。子供は居たら居たできっとかわいいのだろうし、別に2人の邪魔にはならないのかもしれない。でも今はまだ彼との時間を大切にしたいと思う。》
《朝の情事を避けているのだって・・・・こんなこと、恥ずかしくて一生言えないだろうけど・・・・本当は仕事とプライベートの線引きなんてことにこだわっているわけじゃない。芳隆に求められたら私はいつだって全力で応えてしまうと分かっているから。仕事なんて放り出して、いつまでも彼の腕に抱かれていたくなってしまうから。歯止めをかけないといけないのは、実のところ私のほうなのだ。》
なんて、とりとめのないことを考えながら車を走らせているうちに会社へと到着する。車を降りて、すれ違う人と挨拶しながらエレベーターへ。向かうは最上階の社長室だ。当初は何の変哲もない事務職として入社したはずの私が、入社二年目にしてまさかの大抜擢です。今では社長秘書なんてものをやっている。正直柄じゃないのだけど、社長直々に請われたのでは断るわけにもいかない。
社長室の前に立ち、手鏡で身だしなみをチェックしてから静かにドアをノックする。『失礼します。』ドアを開くと、今日も社長の姿は既にデスクにあった。いわゆる“重役出勤”というものはこの人には当てはまらない。〔おはようございます、エリカ。〕そう言って私を出迎えるのは、佐分利慶介社長。37歳にして従業員数600名を超えるこのIT企業のれっきとしたトップだ。名前は日本人そのものだが英国人と日本人のハーフで、13年前にこの会社を興す前までは英国と日本を行ったり来たりの生活だったのだとか。私を下の名前で呼ぶのも特別馴れ馴れしくされているわけではなくて、その頃の習慣によるものらしい。私は実際さほど嫌な感じはしないので気にしないことにしている。
『おはようございます。』と返しながら、いつもと変わらぬ社長の姿を目に映す。一目で白人の血が入っていると分かる白い肌、薄いブラウンの瞳。何よりハーフ特有の小顔に、これが“美形”の見本だと言わんばかりの整った造作。そこに加えて決して偉ぶらない態度、丁寧な物腰、さらにいつも人当たりの良い笑顔を浮かべているのだから、女性社員に騒ぐなと言うほうが無理というものだ。私から見ても、確かに美形ではあると思う。芳隆が居るからそれだけで胸が騒いだりはしないけれど。
そういう立場にある人の宿命として、この人もまたいろいろな噂話の対象になっている。曰く、この容姿を利用して取引先の女性役員に取り入っているだとか。気に入った女性社員を次々とテゴメ(手籠め:暴力で女性を犯すこと。)にしているだとか。それが何かしら根拠のある噂なのか、女性社員たちの願望から来る妄想なのかは定かではない。私が社長秘書になると決まったときなんて大変だった。「テゴメにされないようにね、恵梨香!」何人の人にそう言われたか分からない。そして決まって、言葉とは裏腹に彼女らの顔には「テゴメにされてこい!」と書いてあるのだ。本当に嫌気がさしてきたのをよく覚えている。
そもそも私が来るまでは、どこからか引き抜いてきたという定年間近の男性(三嶋)が秘書をやっていたのだ。秘書の仕事のノウハウもその人に手ほどきしてもらった。その人が定年退職した今は私が1人で秘書業務をこなしているが、そうするようになってからの1年と少しの間にも何かしらのアプローチを受けたことは一度も無い。『きっとあれは単なる下世話な噂話だったのだろう。』と私の中で結論づけている。
いつものようにコーヒーを淹れて、今日のスケジュールを確認する。会議やら取り引きやらで今日も社長のスケジュールはいっぱいいっぱいだ。これにまた突発的なトラブルなどがあれば緊急の会議などが入るわけで、『本当によく倒れないものだ。』と感心する。
一通りスケジュールの確認が終わると、社長はにっこりと笑っていつもの台詞を言った。〔今日も綺麗だね、エリカ。今日も1日よろしくお願いします。〕私は、『ありがとうございます。では、失礼します。』一礼してから社長室をあとにして、秘書室へと向かう。これから書類の作成やらいろいろな事務仕事が待っている。
〔綺麗だね。〕と言われたとき、私はきっといつもの“不機嫌”な無表情だったと思う。この間まで一緒に働いていた三嶋さんにはよく言われたものだ。〚社長のあれは君に気持ちよく働いてもらうために言ってるんだ。大げさに喜べとはいわないが、せめてニコリとくらいはしたらどうだね?〛
そう言われても、芳隆以外の人にああ言われて、たとえ演技でも喜んでみせるというのは裏切りだと思う。だから『出来ません。』と正直に答えたらもうそれ以上は何も言われなくなった。〚君がそういう人だから社長も君を秘書に選んだのかもしれないな。〛って言われたけど、意味がよく分からない。
この日は特にトラブルもなく、平穏に1日が終わった。『早く帰って芳隆の顔が見たい。』私は心の中でそう呟いた。
2015/05/15
中U【本当は・・・】第3回 【夫視点②】&〖妻視点②〗
【夫視点】
仕事が終わって、家でのひととき。この歳で親父臭いかもしれないけど、このために生きていると実感できるひとときだ。今日は俺(南野芳隆)のほうが帰宅は早かったので晩ご飯は俺が作った。大したものは作れないけど、妻の恵梨香(えりか)は『おいしい。』と言って食べてくれる。
夕飯が済んだ後はテレビを見ながらゆったりとくつろいで、それぞれが風呂を済ませてから寝室へ入る。そうして始まる夜の営み。結婚してから2年になるけど、何かよっぽど体調が悪い(生理など)とかの理由があるとき以外は毎晩欠かしたことはない。
『電気、消してよ・・・。』
俺の粘りに対する、いつもの台詞。恥ずかしがりの恵梨香は、明かりを全部消してからじゃないとエッチさせてくれない。一緒に風呂に入ることもあるし、朝の着替えなんかは俺の見ているところでやっているのだけど、『それとこれとは別問題なの!』だとか。
《俺としては、そういうところもかわいいと思う。》
少し残念ではあるけど、恵梨香に嫌な思いはさせたくないので素直に従う。今日もコンドームはしっかりつけた。親父とお袋に初孫の顔を見せる日はもう少し先になりそうだ。
次の日。朝礼が終わってすぐに俺は課長のところへ呼び出された。
「・・・出張、ですか?・・明日から?」
それも1日ではなく、二泊三日だという。今日が水曜日だから木、金と向こうに泊まって土曜日に帰ってくることになる。まさに青天の霹靂だった。
〚すまんな、急で。お前のところもまだ新婚だし、出来れば気を遣ってやりたいところなんだが・・・。〛
人のいい中間管理職の課長は、申し訳なさそうに顔をしかめている。そんなのを見せられると俺は何も言えなくなってしまう。
〚何か特別な用事があるなら他の者に回すこともできるが、どうする?〛
「・・・いえ、特には・・。」
《恵梨香との時間はいつも特別です、なんて言えるはずもなく。》
しがないサラリーマンのサガとして、上からの命令には逆らえない俺だった。
〖妻視点〗
『え、出張?』
夜の食卓でいきなり夫の芳隆(よしたか)がそんなことを言い出したので、私は思わず驚いてしまった。
「ごめん、急に言われてさ・・・明日から土曜まで家をあけることになったよ。」
『そんな・・・土曜日?・・。』
あまりにも急なことだったので、とっさにそれ以上は言葉が出てこなかった。明日も明後日もこうして芳隆と夜の時間を過ごすものだとばかり思っていたのに・・・漸く、。
『帰りは土曜だったわね。何時くらいになりそうなの?』って夫に尋ねた。
「多分いつもと同じか・・・もしかするとそれより遅くなるかもしれないな・・・。」
芳隆は見るからに肩を落としてすっかりしょげている。一時でも芳隆と離れるのはひどく寂しいけど、この人も同じ気持ちで居てくれるのだと思うと少し嬉しい。“そうだ!”と思い直す。こんなとき良き妻がすべきことは、ワガママを言って夫を困らせることではないはずだ。
『そう。仕事だものね。しょうがないわ。』
「・・・ごめん。ありがとう・・。」
『いいのよ。さあ、それなら早くご飯を済ませて荷物を準備しなきゃね。』
意図的に明るい声を出して、気持ちとは反対のことを言う。明日からしばらく離れることになるなら、今夜はゆっくりと2人の時間を過ごしたいのだけど・・・・それは単なる私のワガママだ。そんなことで芳隆を困らせてはいけない。
2015/05/19
中U【本当は・・・】第4回 【夫視点③】
【夫視点】
「ふう・・・。」
俺(南野芳隆)は夜のお勤めが終わって、ごろんとベッドに寝転がる。何度抱いても妻の恵梨香(えりか)の体は最高だ。これから二晩もこれを味わうことが出来ないのだと思うと、ひどい絶望に見舞われる。
『・・・ねえ・・。』
ふと、右腕が柔らかな感触に包まれた。いつもならコトが済んだらすぐに恵梨香は身なりを整えてしまうのに、今夜はまだ裸のままだった。さほど大きくはないけど形のいいおっぱいがじかに俺の右腕を挟んでいる。さっき出したばかりなのに、また股間が熱くなってしまいそうだ。
「どうしたの? もしかして、もう一回?」
期待をこめて訊くと、恵梨香は恥ずかしそうに顔をうつむけた。もしかすると頷いたつもりなのかもしれないけど、動きが小さすぎてよく分からない。ならいっそ、と都合のいいように解釈することにして、おもむろに唇を重ねる。
『んっ・・・』
俯いていた顔を上げて、恵梨香はそれに答えてくれる。舌を絡ませ合いながら、愛おしいその体を再び抱き寄せた。一旦萎えていた股間のものはもう完全に回復している。
『あの・・・。』
俺に組み敷かれながら、恵梨香は控えめにこんなことを言ってきた。
『芳隆の好きにしていいから・・。』
「ん? 好きに、って?いつも好きなようにやっているけど・・・。」
『そうじゃなくて・・・電気、つけたいならつけていいから・・・芳隆のしたいことなら、今日はなんでもしてあげる。』
恥ずかしがりの恵梨香がここまで言ってくれるのは滅多にないことだ。ここへきてようやく、恵梨香も俺と離れるのが寂しいのだと思い至る。とすると、夕食の時の態度は俺を思って我慢してくれていたのだろうか?そう思うと心が愛おしさでいっぱいになる。
「無理しなくていいよ。恵梨香の嫌がることなんて、俺はしたくないから・・。」
『芳隆・・・。』
再び唇を重ねる。本当は早く寝ないといけないのだけど、2人の夜はまだまだ長くなりそうだった。
2015/05/31
中U【本当は・・・】第5回 〖妻視点③〗
【妻視点】
夫の芳隆が出張へ発つ朝。拍子抜けするほど、彼はいつも通りだった。私(南野恵梨香:えりか)は、もし朝から襲いかかられても、今日だけは身を任せるつもりだったのに・・。そのせいでちょっとくらい仕事に遅れても・・・・なんて思ってしまうのは、一般に言う{爛(ただ)れている}というやつなのだろうか。
「それじゃあね。夜になったら電話をするよ。」
『ええ。いってらっしゃい。気をつけてね!』
私は玄関先でいつも通りに唇を重ねる。今日は少し特別なキスを期待していたのに、いつもと何も変わらず、ごく軽く唇を触れ合わせただけで芳隆は離れていってしまった。ドアの向こうにその姿が消えてしまって、少しの不安と不満が残る。《いい加減に、芳隆も分かってくれてもいいのに!》私がどれくらい芳隆のことを愛しているのかを・・・。
予想していた通り、今日は張り合いのない一日となった。帰っても芳隆が居ないと分かっているのだから、何を楽しみに働けばいいのか分からない。〔どうかしましたか、エリカ?〕どうやらそれが見た目にも出てしまっていたらしく、ついには佐分利社長にそんなことを言われてしまった。《いけない、しゃんとしなければ!》
そんなこんなでどうにか仕事を終えて、私は芳隆の居ない家へと帰る。3LDKのマンションは、1人で過ごすにはあまりにも広い。芳隆は約束通りに電話をかけてきてくれた。今日あったことを報告し合ったりだとか、とりとめのないことを30分ほど話したけど、それが終わるとまた家の中は静まりかえってしまう。
テレビをつけてみても、ちっとも気は紛れない。こんなときはさっさと寝てしまうに限る、と、いつもより随分と早い時間からベッドに潜り込んだ。夫の芳隆の匂いの染みついた布団にくるまって眠れば少しは落ち着くかと思ったけど、寂しさが余計に募っただけだった。《芳隆、早く帰ってきて!》
次の日も同じことの繰り返しだった。夫の芳隆が居なくても仕事はいつもと何も変わらない。佐分利社長と居る時間のほうが芳隆と話す時間よりも長いというのはある種の異常だと思う。〔昨日にも増して元気がありませんね。体調がよくないのだったら遠慮せずに言って下さい。〕ついには社長にそんな心配までされてしまった。『別にどうもありません。』と答えたらそれ以上追求されることはなかったけど、《これでは秘書失格だ!》
それにしても佐分利社長はよく私のことを見ているものだなと感心させられる。プライベートを仕事に持ち込むのは、仕事の出来ない女のすることだ。せめて外に居る間は気持ちを切り替えよう。
昨日の反省を活かして、今日は仕事が終わってから近所のレンタル屋でDVDを借りてきた。前々から見たかった映画作品ではあったのだけど・・・・見始めてすぐに《失敗した!》と気がついた。どうして恋愛ものを借りてきてしまったのだろう。気が紛れるどころか余計に虚しさが募ってきて、途中でやめてしまった。
私は時間とお金(大した金額ではない)を無駄にしてしまった徒労感も相まって、もう何もする気力が起こらない。芳隆との電話をしている間だけは少しだけ心が満たされたけど、それが終わってしまったら会いたい気持ちだけが余計に募ってしまう。何もすることがないので、今日もさっさと寝ることにする。明日は土曜日。仕事は休みだけど、夫の芳隆は居ない。
2015/06/17
中U【本当は・・・】第6回 〖妻視点④〗
【妻視点】
“思ったより早く仕事が終わったから、予定より早く帰れそうだ・・・・”なんて、そんな喜ばしい報告もなく。朝にかかってきた電話の内容からすると、やはり夫の芳隆(よしたか)が帰ってくるのは夜になりそうだ。ひとまずは彼が気持ちよく帰ってこられるように、私(南野恵梨香:えりか)は自宅の掃除をすることにした。
といってもさほど広いわけでもなく、芳隆も私も日頃からこまめに掃除をするほうだから、細かいところまで徹底的にやっても午前中のうちに終わってしまった。さて昼からどうしようとしばらく考えて、会社に出ようと決める。急いでやらなければいけない仕事はないけど、細かい雑務は溜まったままだ。それをやっておけば気は紛れるだろうし、来週は早めに帰れる日が増えるかもしれない。時間の潰し方としては完璧だ。手早く支度を済ませて、綺麗に片付いた家をあとにした。
土曜に出勤するのなんて随分と久しぶりだ。記憶にある範囲では、少なくとも私が1人で秘書をやることになってからは初めてのことだと思う。先輩秘書が居た頃には、1人だけ休日出勤させるのも申し訳ないのでそれに付き合ったりはしていたのだけど・・・。
社長室の前を通り過ぎようとして、《もしかして》と思ってドアをノックしてみた。案の定、中から〔はい。〕と社長(佐分利慶介)の声が返ってくる。ドアを開けるといつも通りの柔らかい笑顔に出迎えられた。
〔やあエリカ。珍しいね、君が土曜日に来るなんて?〕
『ええ、ちょっと・・・。』
〔溜まっている仕事でもあったのかい?」
「・・・はい」
《本当は、いつやってもいいような仕事なのだけど》と心の中で付け加えながら、秘書の癖として社長のデスクをチェックする。コーヒーカップは置いてあるが、中身が空だ。
『社長、コーヒーをお入れしましょうか?』
〔ああ、アリガトウ。お願いします。〕
“アリガトウ”って口にするときの社長の笑顔は、いつも浮かべているものとは違って本当に嬉しそうだった。そんな細かいことに気付くあたり、なんだかんだで私もこの人のことをよく観察しているのだなあと思う。
そういえばここ数日、芳隆との電話を除けば会話らしい会話をした相手は佐分利社長だけかもしれない。そんな親近感と寂しさが相まってか、コーヒーを渡すとき、いつもなら言わない世間話がつい口をついた。
『社長こそ、会社が休みでも毎日出てこられているのですか?』
〔ん? いや、そんなことはないんですけどね。ああ、どうもアリガトウ。〕
コーヒーを受け取りながら、社長はぽりぽりと首のあたりをかいた。なんだかこの人らしくない、どこにでも居る普通の青年じみた仕草だ。《改めてハーフの美形が一段とエレガントさを際立たせている。と気づく》
〔なんせ独り身ですから。家に1人で居てもヒマでね。こうして仕事をしているほうがかえって気が楽なんですよ。〕
みんなが知っている〖やり手の社長〗の印象とはまた違った一面を垣間見た一言だった。《なんだ、この人も私と同じようなことを考えるんだな・・・・》そんなことを思ったのは、この時だった。
2015/07/22
中U【本当は・・・】第7回
〔エリカ? どうかしましたか?〕
訝(いぶか)しげな佐分利社長の声ではっと我に返る。今、私は何を考えていたのだろう?
『い、いえ。何でもありません。それでは、私は秘書室に居ますので・・・。』
〔うん。何かあったら声をかけさせてもらいます。〕
返事もそこそこに、私はそそくさと社長室をあとにする。
私は、《イケメンなんかになびいたりしない。》そう思っていたのに・・・・(ごめんね、芳隆)こんな気の迷いが生まれるのも、きっと芳隆が居ないからだ。申し訳なさと、早く会いたいという気持ち。両方が猛烈に募ってきて胸が押しつぶされそうになる。
それから間。どうにか気持ちを落ち着けて仕事に集中していたら、ふいに携帯が鳴った。芳隆からだ。喜び勇んで通話ボタンを押し、期待を胸に耳へと押し当てる。
「・・・もしもし・・。」
が、電話越しに聞こえた芳隆の声を耳にした瞬間に分かった。
《これはきっとよくない報せだ。》
「ごめん。仕事が長引いて・・・帰るのが遅くなりそうなんだ。」
半ば予想していたとはいえ、ショックだった。まだこんな想いを続けないといけないなんて・・・。
『遅くなりそうって・・・もともと帰りは夜になるって言ってたわよね?』
「うん。だから、その・・・。」
『え? ちょっと待って! まさか今夜も帰って来れないの?』
「・・・ごめん。」
『そんな・・・。』
目の前が真っ暗になった。夫の帰りが一日遅れたくらいで何を、と世間の妻たちはきっと言うだろう。でも私にとってこれは紛れもない一大事なのだ。特に、あんなことがあったあとでは・・・・。
『明日のいつぐらいに帰って来れそう?』
「分からない。もしかすると夜になるかも・・・。月曜と火曜は代休もらえるらしいけど・・・。」
『それじゃあ意味がないじゃないの! 私はいつも通り仕事なのに!』
思わず口をついたその台詞は、少しきつい口調になってしまった。
『・・・ごめんなさい。怒ってるわけじゃないの。』
「うん。ホントごめんな、恵梨香。お土産を買って帰るよ。」
《そんなものは要らない。早くあなたに会いたいだけなの・・・・》
素直にそう言えたら少しは楽になるんだと思う。けどそんなことを言っても芳隆を困らせるだけだと分かっていた。
『うん。楽しみに待ってるわ。無理はしないでね。』
結局、私に言えるのはそんなことしかない。
「ありがとう。恵梨香、今はどこに居るの?」
『えっ!・・・今は・・・ちょっと、外に出てるんだけど・・・。』
何故だろう? 『会社に居る』ってとっさには言えなかった。
「そっか。恵梨香も風邪とかひかないようにね。今日も冷え込んでるしさ。」
『うん。芳隆こそね・・・・。』
そのあと少しだけ話をして、電話は終わる。私は最後まで本音を言えなくて・・・・そして最後まで『今会社に居るの』って言えなかった。 第8回へ続く
2016/12/15
中U【本当は・・・】第8回
沈んだ気持ちで仕事をしているうちに、いつの間にか時刻は午後6時を回っていた。そろそろ切り上げよう。社長(佐分利慶介:さぶり・けいすけ:37歳)は取引先に出かけたまま帰ってきていないが、〔好きな時間に帰ってくれていい。〕と言われたので問題はないはずだ。
そんな短い会話を交わすだけでも、佐分利社長の顔はやっぱりいつもとは違って見えた。
ああだこうだと騒いでいる同僚達の気持ちが、今なら分かるような気がしてしまう。本当にどうしてしまったんだろう、私(南野恵梨香:みなみの・えりか:27歳)はたった数日夫(南野芳隆:みなみの・よしたか:29歳)に会えないだけでこんなに不安定になるとは思ってもみなかった。自分で自覚している以上に、私は芳隆に依存しているのかもしれない。
その夜。家に帰った私は、学生時代の女友達の岩崎美佳(いわさき・みか)に電話をかけた。付き合いの期間だけなら芳隆よりも長い。そう私の親友だ。[おっす恵梨香! 久しぶり!]って学生時代と何も変わらない、軽い調子の声。私たちはたっぷり小一時間かけてひとしきりお互いの近況を語り合ったあとで、やっとのことで本題に入る。
[・・・で? 何か話したいことがあるんでしょ?]
『うん・・・あのね美佳、変なことを訊くようだけど・・・いいかな?』
[だいじょぶ。恵梨香はいつも変だから(笑)。]
『え~?・・・ちょっと!』
なんとも失礼なやつだ。でもこの子に言われるとちっとも嫌味に感じない。
[冗談よ。で、どうした?]
『うん。あのね・・・好きな人が居るのに、他の男の人にドキっとしちゃうことって・・・浮気になると思う?』
[へっ・・・?]
美佳は一瞬の間絶句したあと、[ぶぶっ!]って吹き出した。
[アンタねえ・・・それが27歳の人妻が言うことですか?]
『えっ!・・・変かな?』
[あー、まあアンタはろくに恋もしないで結婚しちゃったからなあ。]
『失礼ね、恋ならしたわよ。』
[南野君と、ね。他の男は知らないでしょ。]
『・・・知らなくていいよ。』
[それで今困ってるんでしょうに。いい? 他の男にドキっとしたり、ちょっと目を惹かれたりするくらいは普通のことよ。気にするほどのことでもない。大体、それ言ったらアンタの夫だってアイドルとか見て鼻の下伸ばしたりしてるでしょうに。]
『ううん・・・してない、かな? 「恵梨香がこの世で一番だ」といつも言ってくれるから。』
[あー、はいはい、ごちそうさま。まあ南野君ならそうかもね。いいわ。とにかく、アンタが感じたのは別に特別なものでも何でもないの。南野君は明日帰ってくるんでしょ? 愛(いと)しい旦那様に思いっきり甘えて、さっさと忘れちゃいなさい!]
『それでいいのかな?』
[それ以外にどうしろって言うのよ?]
『そっか。・・・うん、ありがとう。ちょっと気持ちが軽くなった。』
[どういたしまして。感謝してるなら今度甘いものでもおごってね。]
それから少し美佳と話して、電話を切った。やっぱりこの子に話してよかった・・・随分と気が楽になったと思う。そのあと芳隆とも電話したけど、昼間に感じた後ろめたさみたいなものはもうなくなっていた。 第9回に続く
2017/01/14
中U【本当は・・・】第9回
第8回 20170114
やっぱり夫(南野芳隆:みなみの・よしたか:29歳)の帰りは夜になるらしい。次の日、掃除は昨日済ませてしまったし、さすがに日曜まで会社に出る気にはならなかった。本格的にすることがなく、家に居ても仕方が無いので、私(南野恵梨香:みなみの・えりか:27歳)は買い物に出かけることにする。
近くのショッピングモールに行った。
《こうして1人で買い物をするのはいつ以来だろうか・・もしかすると芳隆と付き合い始めてから一度も1人で来たことはなかったかもしれないな・・。たまにはこういうのもいいけど、でもやっぱり少し寂しい・・・・。》
なんて思いながらぶらぶらと歩いていた、その時だ。
〔おや、エリカ?〕
聞き慣れた声が聞こえた気がする。まさか、とは思ったけど、振り向いた先に居たのはやっぱり予想通りの人物だった。
〔こんなところで会うなんて。偶然ですね。〕
『社長(佐分利慶介:さぶり・けいすけ:37歳)! おはようございます。』
予想外の遭遇。私はまた気持ちが落ち着かなくなる。
佐分利社長のいでたちは普段のスーツ姿とは違う、ブルゾンにニット、下はデニムというラフな服装だ。その整ったルックスはやっぱりここでも女性客の視線を集めている。
〔ああ、いいですよ挨拶なんて。今はプライベートなんですから。エリカの私服姿を見るのは初めてですね。とても素敵ですよ。〕
『・・・ありがとうございます。』
今日の私はワンピースの上からジャケットを羽織っただけのシンプルな服装だ。これが似合うのが果たしていいのかどうか迷うところだけど、褒められるのは素直に嬉しい。そう、《褒められたら素直に喜べばいい。それくらいでは裏切りなんかにならない。》
昨日美佳と話してようやく私にもそれが分かった。
だから、こんな台詞もすらりと言える。
『社長はこんなところで何を? どなたかへのプレゼントですか?』
《今までは潔癖なまでに無駄話をしてこなかった私だけど、これくらいはむしろ仕事をスムーズに進めるための潤滑油としてあったほうがいい。》
〔いえ、いわゆる市場調査というやつで。今どんなものが若い女性に人気なのかを見に来たんですよ。〕
『なるほど・・・。』 第10回に続く
20190818
中U【本当は・・・】第10回
第9回 20190818
『社長(佐分利慶介:さぶり・けいすけ:37歳)はこんなところで何を? どなたかへのプレゼントですか?』
〔いえ、いわゆる市場調査というやつで。今どんなものが若い女性に人気なのかを見に来たんですよ。〕
『なるほど・・・。』
《佐分利社長はつくづく仕事熱心だ。この熱心さこそが、この若さで成功を収めた秘訣なのだろう。》
〔さて、立ち話もなんだか・・・。〕
『あ、はい。それじゃあ失礼します。』
〔ああ、いや・・違います・・。〕
立ち去ろうとした私(南野恵梨香:みなみの・えりか:27歳)を手で制して、社長は袖をめくって腕時計に目をやる。
《たぶん今は12時の少し前くらいだと思うけど・・・・。》
〔ここで会ったのも何かの縁です。ランチをご馳走させてもらえませんか? ちょうど近
くにお勧めのイタリアン・レストランがあるんですよ。〕
『え? でも・・・。』
《仕事の上で社長と一緒に昼食をとることはある。でもそれとこれとは別問題だ。今はお
互いプライベートなのだから・・・・。》
〔僕はこういう縁を大事にすると決めているんです。すみませんが、僕のポリシーに付き
合ってはもらえませんか?〕
社長の顔を見ていると、《ああ、この人はきっと相手が男の人でもきっと同じ事を言うんだ
ろうな。》って思えてしまって、気がついたときには『分かりました。』って答えてしまっていた。
日曜日のお昼時。落ち着いた空気の流れる店内に居る客は、やはりカップルや夫婦らしき二人連れがほとんどである。そんなところに夫(南野芳隆:みなみの・よしたか:29歳)以外の男の人と二人で居るというのはやっぱり落ち着かない。
《やっぱり断ればよかった。》
まだお店に入ったばかりだというのに、私は早くも後悔し始めている。
〔どうしました? やっぱり僕が相手では不満ですか?〕
『あ、いえ・・・。』
どうやらそれが顔に出ていたらしく、私は社長にそんなことを言わせてしまった。
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