中U【本当は・・・】第2回 【妻視点①】
中U【本当は・・・】第2回 【妻視点①】
夫の芳隆(よしたか)を見送ってから10分ほど経って、戸締まりを確認してからマンションのガレージへと向かう。歩きながら、気付けば指先で唇に触れている。キスの名残を惜しむみたいに。(・・・ふふ)その感触を思い出すだけで、温かいものが心に満ちていく。本当に、自分でも呆れるくらいに芳隆のことが好きだ。ほんの5,6年ほど前までは自分(南野恵梨香:えりか)がこんなふうになるなんて想像も出来なかった。
芳隆と出会う前の私は、ずっとコンプレックスを抱えていた。そんなつもりはないのに、無表情で居るだけでみんなに不機嫌だと思われてしまう。男は寄ってこないし、女友達ともそれが原因で険悪になってしまったこともある。でも芳隆だけは違った。彼は“君の笑った顔が好き”だとか、そんなありふれた言葉は使わなかった。ただ「君の全てが好きだ!」と言ってくれた。
無表情の私も、コンプレックスを抱えた私も、「全部をひっくるめて愛している。」と言ってくれた。その告白を受けた瞬間に、私の一生は決まってしまったのだと思う。《自分を嫌悪していた私を変えてくれた彼(南野芳隆)に、一生ついて行く。それが私の幸せだ。》
《恋人だった頃と同じように今もお互いを名前で呼び合っているのも、私が望んでのことだ。夫婦という形式としてじゃなくて、お互いを愛し合っているから一緒に居るのだといつも実感したいから。子作りをまだしていないのだって、本当の理由は芳隆に言っているのとは別にある。私はまだまだ彼と二人っきりの時間を過ごしたいのだ。子供は居たら居たできっとかわいいのだろうし、別に2人の邪魔にはならないのかもしれない。でも今はまだ彼との時間を大切にしたいと思う。》
《朝の情事を避けているのだって・・・・こんなこと、恥ずかしくて一生言えないだろうけど・・・・本当は仕事とプライベートの線引きなんてことにこだわっているわけじゃない。芳隆に求められたら私はいつだって全力で応えてしまうと分かっているから。仕事なんて放り出して、いつまでも彼の腕に抱かれていたくなってしまうから。歯止めをかけないといけないのは、実のところ私のほうなのだ。》
なんて、とりとめのないことを考えながら車を走らせているうちに会社へと到着する。車を降りて、すれ違う人と挨拶しながらエレベーターへ。向かうは最上階の社長室だ。当初は何の変哲もない事務職として入社したはずの私が、入社二年目にしてまさかの大抜擢です。今では社長秘書なんてものをやっている。正直柄じゃないのだけど、社長直々に請われたのでは断るわけにもいかない。
社長室の前に立ち、手鏡で身だしなみをチェックしてから静かにドアをノックする。『失礼します。』ドアを開くと、今日も社長の姿は既にデスクにあった。いわゆる“重役出勤”というものはこの人には当てはまらない。〔おはようございます、エリカ。〕そう言って私を出迎えるのは、佐分利慶介社長。37歳にして従業員数600名を超えるこのIT企業のれっきとしたトップだ。名前は日本人そのものだが英国人と日本人のハーフで、13年前にこの会社を興す前までは英国と日本を行ったり来たりの生活だったのだとか。私を下の名前で呼ぶのも特別馴れ馴れしくされているわけではなくて、その頃の習慣によるものらしい。私は実際さほど嫌な感じはしないので気にしないことにしている。
『おはようございます。』と返しながら、いつもと変わらぬ社長の姿を目に映す。一目で白人の血が入っていると分かる白い肌、薄いブラウンの瞳。何よりハーフ特有の小顔に、これが“美形”の見本だと言わんばかりの整った造作。そこに加えて決して偉ぶらない態度、丁寧な物腰、さらにいつも人当たりの良い笑顔を浮かべているのだから、女性社員に騒ぐなと言うほうが無理というものだ。私から見ても、確かに美形ではあると思う。芳隆が居るからそれだけで胸が騒いだりはしないけれど。
そういう立場にある人の宿命として、この人もまたいろいろな噂話の対象になっている。曰く、この容姿を利用して取引先の女性役員に取り入っているだとか。気に入った女性社員を次々とテゴメ(手籠め:暴力で女性を犯すこと。)にしているだとか。それが何かしら根拠のある噂なのか、女性社員たちの願望から来る妄想なのかは定かではない。私が社長秘書になると決まったときなんて大変だった。「テゴメにされないようにね、恵梨香!」何人の人にそう言われたか分からない。そして決まって、言葉とは裏腹に彼女らの顔には「テゴメにされてこい!」と書いてあるのだ。本当に嫌気がさしてきたのをよく覚えている。
そもそも私が来るまでは、どこからか引き抜いてきたという定年間近の男性(三嶋)が秘書をやっていたのだ。秘書の仕事のノウハウもその人に手ほどきしてもらった。その人が定年退職した今は私が1人で秘書業務をこなしているが、そうするようになってからの1年と少しの間にも何かしらのアプローチを受けたことは一度も無い。『きっとあれは単なる下世話な噂話だったのだろう。』と私の中で結論づけている。
いつものようにコーヒーを淹れて、今日のスケジュールを確認する。会議やら取り引きやらで今日も社長のスケジュールはいっぱいいっぱいだ。これにまた突発的なトラブルなどがあれば緊急の会議などが入るわけで、『本当によく倒れないものだ。』と感心する。
一通りスケジュールの確認が終わると、社長はにっこりと笑っていつもの台詞を言った。〔今日も綺麗だね、エリカ。今日も1日よろしくお願いします。〕私は、『ありがとうございます。では、失礼します。』一礼してから社長室をあとにして、秘書室へと向かう。これから書類の作成やらいろいろな事務仕事が待っている。
〔綺麗だね。〕と言われたとき、私はきっといつもの“不機嫌”な無表情だったと思う。この間まで一緒に働いていた三嶋さんにはよく言われたものだ。〚社長のあれは君に気持ちよく働いてもらうために言ってるんだ。大げさに喜べとはいわないが、せめてニコリとくらいはしたらどうだね?〛
そう言われても、芳隆以外の人にああ言われて、たとえ演技でも喜んでみせるというのは裏切りだと思う。だから『出来ません。』と正直に答えたらもうそれ以上は何も言われなくなった。〚君がそういう人だから社長も君を秘書に選んだのかもしれないな。〛って言われたけど、意味がよく分からない。
この日は特にトラブルもなく、平穏に1日が終わった。『早く帰って芳隆の顔が見たい。』私は心の中でそう呟いた。
2015/05/15
夫の芳隆(よしたか)を見送ってから10分ほど経って、戸締まりを確認してからマンションのガレージへと向かう。歩きながら、気付けば指先で唇に触れている。キスの名残を惜しむみたいに。(・・・ふふ)その感触を思い出すだけで、温かいものが心に満ちていく。本当に、自分でも呆れるくらいに芳隆のことが好きだ。ほんの5,6年ほど前までは自分(南野恵梨香:えりか)がこんなふうになるなんて想像も出来なかった。
芳隆と出会う前の私は、ずっとコンプレックスを抱えていた。そんなつもりはないのに、無表情で居るだけでみんなに不機嫌だと思われてしまう。男は寄ってこないし、女友達ともそれが原因で険悪になってしまったこともある。でも芳隆だけは違った。彼は“君の笑った顔が好き”だとか、そんなありふれた言葉は使わなかった。ただ「君の全てが好きだ!」と言ってくれた。
無表情の私も、コンプレックスを抱えた私も、「全部をひっくるめて愛している。」と言ってくれた。その告白を受けた瞬間に、私の一生は決まってしまったのだと思う。《自分を嫌悪していた私を変えてくれた彼(南野芳隆)に、一生ついて行く。それが私の幸せだ。》
《恋人だった頃と同じように今もお互いを名前で呼び合っているのも、私が望んでのことだ。夫婦という形式としてじゃなくて、お互いを愛し合っているから一緒に居るのだといつも実感したいから。子作りをまだしていないのだって、本当の理由は芳隆に言っているのとは別にある。私はまだまだ彼と二人っきりの時間を過ごしたいのだ。子供は居たら居たできっとかわいいのだろうし、別に2人の邪魔にはならないのかもしれない。でも今はまだ彼との時間を大切にしたいと思う。》
《朝の情事を避けているのだって・・・・こんなこと、恥ずかしくて一生言えないだろうけど・・・・本当は仕事とプライベートの線引きなんてことにこだわっているわけじゃない。芳隆に求められたら私はいつだって全力で応えてしまうと分かっているから。仕事なんて放り出して、いつまでも彼の腕に抱かれていたくなってしまうから。歯止めをかけないといけないのは、実のところ私のほうなのだ。》
なんて、とりとめのないことを考えながら車を走らせているうちに会社へと到着する。車を降りて、すれ違う人と挨拶しながらエレベーターへ。向かうは最上階の社長室だ。当初は何の変哲もない事務職として入社したはずの私が、入社二年目にしてまさかの大抜擢です。今では社長秘書なんてものをやっている。正直柄じゃないのだけど、社長直々に請われたのでは断るわけにもいかない。
社長室の前に立ち、手鏡で身だしなみをチェックしてから静かにドアをノックする。『失礼します。』ドアを開くと、今日も社長の姿は既にデスクにあった。いわゆる“重役出勤”というものはこの人には当てはまらない。〔おはようございます、エリカ。〕そう言って私を出迎えるのは、佐分利慶介社長。37歳にして従業員数600名を超えるこのIT企業のれっきとしたトップだ。名前は日本人そのものだが英国人と日本人のハーフで、13年前にこの会社を興す前までは英国と日本を行ったり来たりの生活だったのだとか。私を下の名前で呼ぶのも特別馴れ馴れしくされているわけではなくて、その頃の習慣によるものらしい。私は実際さほど嫌な感じはしないので気にしないことにしている。
『おはようございます。』と返しながら、いつもと変わらぬ社長の姿を目に映す。一目で白人の血が入っていると分かる白い肌、薄いブラウンの瞳。何よりハーフ特有の小顔に、これが“美形”の見本だと言わんばかりの整った造作。そこに加えて決して偉ぶらない態度、丁寧な物腰、さらにいつも人当たりの良い笑顔を浮かべているのだから、女性社員に騒ぐなと言うほうが無理というものだ。私から見ても、確かに美形ではあると思う。芳隆が居るからそれだけで胸が騒いだりはしないけれど。
そういう立場にある人の宿命として、この人もまたいろいろな噂話の対象になっている。曰く、この容姿を利用して取引先の女性役員に取り入っているだとか。気に入った女性社員を次々とテゴメ(手籠め:暴力で女性を犯すこと。)にしているだとか。それが何かしら根拠のある噂なのか、女性社員たちの願望から来る妄想なのかは定かではない。私が社長秘書になると決まったときなんて大変だった。「テゴメにされないようにね、恵梨香!」何人の人にそう言われたか分からない。そして決まって、言葉とは裏腹に彼女らの顔には「テゴメにされてこい!」と書いてあるのだ。本当に嫌気がさしてきたのをよく覚えている。
そもそも私が来るまでは、どこからか引き抜いてきたという定年間近の男性(三嶋)が秘書をやっていたのだ。秘書の仕事のノウハウもその人に手ほどきしてもらった。その人が定年退職した今は私が1人で秘書業務をこなしているが、そうするようになってからの1年と少しの間にも何かしらのアプローチを受けたことは一度も無い。『きっとあれは単なる下世話な噂話だったのだろう。』と私の中で結論づけている。
いつものようにコーヒーを淹れて、今日のスケジュールを確認する。会議やら取り引きやらで今日も社長のスケジュールはいっぱいいっぱいだ。これにまた突発的なトラブルなどがあれば緊急の会議などが入るわけで、『本当によく倒れないものだ。』と感心する。
一通りスケジュールの確認が終わると、社長はにっこりと笑っていつもの台詞を言った。〔今日も綺麗だね、エリカ。今日も1日よろしくお願いします。〕私は、『ありがとうございます。では、失礼します。』一礼してから社長室をあとにして、秘書室へと向かう。これから書類の作成やらいろいろな事務仕事が待っている。
〔綺麗だね。〕と言われたとき、私はきっといつもの“不機嫌”な無表情だったと思う。この間まで一緒に働いていた三嶋さんにはよく言われたものだ。〚社長のあれは君に気持ちよく働いてもらうために言ってるんだ。大げさに喜べとはいわないが、せめてニコリとくらいはしたらどうだね?〛
そう言われても、芳隆以外の人にああ言われて、たとえ演技でも喜んでみせるというのは裏切りだと思う。だから『出来ません。』と正直に答えたらもうそれ以上は何も言われなくなった。〚君がそういう人だから社長も君を秘書に選んだのかもしれないな。〛って言われたけど、意味がよく分からない。
この日は特にトラブルもなく、平穏に1日が終わった。『早く帰って芳隆の顔が見たい。』私は心の中でそう呟いた。
2015/05/15
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