『妻の3年』 vol.1 〔妻、琴美〕
中D『妻の3年』 〔妻、琴美〕
(原題:「3年前、それから」 原作者:忠太郎 2008年)
vol.1〔妻、琴美〕
3年前、妻の琴美が28歳の時だった。当時、娘が4歳だった。結婚した時に琴美は処女だった。正確に言うと結婚する1年前までは、処女だった。勿論、僕が戴いた。ちなみに僕は琴美の1歳上。真柴謙一。
とにかく、いわゆる“マグロ(性行為の際に無反応な女性のこと。)”で、何にも知らないという、今時には貴重な女だった。そんな琴美だったが23歳で結婚してからは、そのマグロを毎晩のように抱いた。
程よいボリュームの美乳と、引き締まったウエストから存在感十分に張り出した桃尻、むっちりした太ももと美脚、本当にそそる体をしていた、が、あそこを舐めようとすると『いやだ、汚いから……。』という。バックから挿れようとすると、『そんな!動物みたいで嫌。』と、こんな始末であった。色気も何もあったものではない、ムードぶち壊しで白ける時もあった。
そんな琴美だったが、娘(環=たまき)が生れてから変わってきた。妻に言わせると、『子どもを産んだら恐いものがなくなる。』といった。その理由は、産婦人科で股を広げて、アソコを曝け出したら、『もうどうにでもなれという心境になった。』らしい。
その頃、親友の國貞が無遠慮に「琴美さん、どう?子ども生んでから。子ども生んでからのほうがあそこの締りがよくなるよ……。」などと云う。そんなものかと気に掛けていたが、本当にその通りになった。
明らかに変わってきたのは、セックスに積極的になってきたことだった。それまではどちらかというと、妻としての義務感から、夫の要求に応じるというような感じだったが、顕著に変わっていった。
僕が遅く帰ってきて、最後に風呂にはいって寝ようとすると、先に布団に真っ裸でもぐりこんでいて、僕を喜ばそうとしたり、僕が先に寝ていると、湯上り後に全裸で僕の顔を跨いで、ワレメを鼻先に押し付けてきたりと、どこかスポーツ感覚なのは否めないが、それなりにセックスを楽しむようになってきた。
まるで、子どもが、覚えた遊びに夢中になるように、僕を楽しませることが、自分でも楽しくて仕様がないといった風だった。もともと琴美は、好奇心が人一倍旺盛だということもあるでしょうが、僕としても、次第に感度もよくなり、女として成熟していく琴美を見るのは嬉しかったし、子どもを産んでからのほうが、女は綺麗になるものだということがよく実感できた。
琴美を全裸で、少し脚を広げさせて立たせたまま、下からワレメを舐めようとすると、舐める前から感じていて、それだけで息を荒げて蜜を滴らせた。この頃は必ず自分から、『ねえ舐めて!』って、と要求をしてきた。
変われば変わるものである。ある時、初めて潮を吹いたことがあり、本人は失禁したと思って慌てたことがあった。違うということを教えてあげると、『ホントにあるんだね。すごい!』としきりに感心していた。そんな琴美にもう一つの大きな変化が起きたのである。
琴美は誰とでも友達になってしまうような性格なので、友人はいくらでもいるのだが、特に仲のよかった友達は、國貞の奥さんの恵実さんと、フラダンスの先生で伊藤さんの奥さんの雅子さん、それに子どもの幼稚園で仲良くなった岡田杏璃さんの三人だった。
雅子さんは琴美より6歳年上である。社長夫人で、社会的にも信用があり、趣味でフラダンス教室をやっている。人柄もよく、姐御肌なので面倒見がよく、琴美のことは妹のように可愛がっていた。
琴美も、姉のように雅子さんに何でも相談していたようである。後から分かったことだが、琴美が布団の中で、裸で待っていたり、私の顔を跨いでワレメを押し付けてきたりしたのは、どうも、この雅子さんの入れ知恵だったようだ。
(原題:「3年前、それから」 原作者:忠太郎 2008年)
vol.1〔妻、琴美〕
3年前、妻の琴美が28歳の時だった。当時、娘が4歳だった。結婚した時に琴美は処女だった。正確に言うと結婚する1年前までは、処女だった。勿論、僕が戴いた。ちなみに僕は琴美の1歳上。真柴謙一。
とにかく、いわゆる“マグロ(性行為の際に無反応な女性のこと。)”で、何にも知らないという、今時には貴重な女だった。そんな琴美だったが23歳で結婚してからは、そのマグロを毎晩のように抱いた。
程よいボリュームの美乳と、引き締まったウエストから存在感十分に張り出した桃尻、むっちりした太ももと美脚、本当にそそる体をしていた、が、あそこを舐めようとすると『いやだ、汚いから……。』という。バックから挿れようとすると、『そんな!動物みたいで嫌。』と、こんな始末であった。色気も何もあったものではない、ムードぶち壊しで白ける時もあった。
そんな琴美だったが、娘(環=たまき)が生れてから変わってきた。妻に言わせると、『子どもを産んだら恐いものがなくなる。』といった。その理由は、産婦人科で股を広げて、アソコを曝け出したら、『もうどうにでもなれという心境になった。』らしい。
その頃、親友の國貞が無遠慮に「琴美さん、どう?子ども生んでから。子ども生んでからのほうがあそこの締りがよくなるよ……。」などと云う。そんなものかと気に掛けていたが、本当にその通りになった。
明らかに変わってきたのは、セックスに積極的になってきたことだった。それまではどちらかというと、妻としての義務感から、夫の要求に応じるというような感じだったが、顕著に変わっていった。
僕が遅く帰ってきて、最後に風呂にはいって寝ようとすると、先に布団に真っ裸でもぐりこんでいて、僕を喜ばそうとしたり、僕が先に寝ていると、湯上り後に全裸で僕の顔を跨いで、ワレメを鼻先に押し付けてきたりと、どこかスポーツ感覚なのは否めないが、それなりにセックスを楽しむようになってきた。
まるで、子どもが、覚えた遊びに夢中になるように、僕を楽しませることが、自分でも楽しくて仕様がないといった風だった。もともと琴美は、好奇心が人一倍旺盛だということもあるでしょうが、僕としても、次第に感度もよくなり、女として成熟していく琴美を見るのは嬉しかったし、子どもを産んでからのほうが、女は綺麗になるものだということがよく実感できた。
琴美を全裸で、少し脚を広げさせて立たせたまま、下からワレメを舐めようとすると、舐める前から感じていて、それだけで息を荒げて蜜を滴らせた。この頃は必ず自分から、『ねえ舐めて!』って、と要求をしてきた。
変われば変わるものである。ある時、初めて潮を吹いたことがあり、本人は失禁したと思って慌てたことがあった。違うということを教えてあげると、『ホントにあるんだね。すごい!』としきりに感心していた。そんな琴美にもう一つの大きな変化が起きたのである。
琴美は誰とでも友達になってしまうような性格なので、友人はいくらでもいるのだが、特に仲のよかった友達は、國貞の奥さんの恵実さんと、フラダンスの先生で伊藤さんの奥さんの雅子さん、それに子どもの幼稚園で仲良くなった岡田杏璃さんの三人だった。
雅子さんは琴美より6歳年上である。社長夫人で、社会的にも信用があり、趣味でフラダンス教室をやっている。人柄もよく、姐御肌なので面倒見がよく、琴美のことは妹のように可愛がっていた。
琴美も、姉のように雅子さんに何でも相談していたようである。後から分かったことだが、琴美が布団の中で、裸で待っていたり、私の顔を跨いでワレメを押し付けてきたりしたのは、どうも、この雅子さんの入れ知恵だったようだ。
- 関連記事
-
- 『妻の3年』 vol.1 〔妻、琴美〕 (2014/08/05)
- 『妻の3年』 vol.2 〔夫、謙一〕 (2014/08/09)
- 『妻の3年』 vol.3〔妻の変化〕 (2014/08/11)
- 『妻の3年』 vol.4〔回想〕 (2014/08/19)
- 『妻の3年』 vol.5〔嫉妬〕 (2014/08/20)
- 『妻の3年』 vol.6〔断れない〕 (2014/08/22)
- 『妻の3年』 vol.7〔レズビアン〕 (2014/08/26)
- 『妻の3年』 vol.8〔パーティーへの誘い〕 (2014/08/27)
- 『妻の3年』 vol.9〔浴室で〕 (2014/08/31)
- 『妻の3年』 vol.10〔4人の美女〕 (2014/09/02)
- 『妻の3年』 vol.11〔媚薬〕 (2014/09/05)
- 『妻の3年』 vol.12〔似ている。〕 (2014/09/12)
- 『妻の3年』 vol.13〔開花〕 (2014/09/14)
- 『妻の3年』 vol.14〔極上品〕 (2014/09/16)
- 『妻の3年』 vol.15〔やっぱり、パパが〕 (2014/09/19)
コメント
コメントの投稿