『妻の3年』 vol.33〔バージン?〕
中D『妻の3年』 vol.33〔バージン?〕
伊藤氏の別邸はいよいよ仕上げの工程に入っていた。6カ月掛かったことになる。つまり、実花(みか)がいなくなってから半年ということだ。謙一も、新入社員の愛には実花の代わりは無理だろうとは思ったが、そうは言っても人手が足りないので、仕方なく、愛を現場に連れて行くようになった。雰囲気に慣れさせようと云う程度のつもりだった。
ところが順応性があるというのか、愛は直ぐに雰囲気に溶け込んだ。謙一にとっては意外だったが、彼女の履歴書に“特技・空手二段”とあることに気がついた。男の中にいるのは子どもの頃から慣れていたのである。
実花ほど仕事のことは解らないが、教えると呑みこみは早い。それに、何かあると職人や親方連中にでも平気で訊いていく。色白のぽっちゃりした可愛い娘から訊かれて、気分の悪い男はいないだろう。職人たちは競って彼女に教えたがった。
面白いことに、愛は、自分でもよく解っていないのに、図面と見比べながら相違点を見つけると《親方、これではあかんやないの……。》と、京都弁でやるのである。京都弁独特のイントネーションで言われると、ずばり言われても、関東の人間には、あまり、きついことを言われたと云う感じはしないものだ。現場での存在感と云う意味では、愛は、立派に実花の代わりを務めていた。
謙一の現場では、出入りの親方たちも馴染みの人がほとんどなので、現場でのトラブルは全くといってよいほど起きたことがない。ところが珍しく、若い職人同士が、ちょっとしたことで触発寸前の状態になったことがあった。親方連中が傍にいればよかったのだが、生憎、若い者だけが集まっていたので、止めに入る者もいなかったのである。
そのとき、通りかかった愛が《止めなさいよ!》と、止めようとした。が、茶髪の兄ちゃんが「うるせえ、女の出る幕じゃねえ、引っ込んでろ!」と、愛を一喝した。愛の顔が、キッとなった。表情の判りやすい娘である。
愛は、その茶髪の兄ちゃんのところへ歩み寄ると、横っ面をバシッと張り倒した。殴られた本人も、喧嘩していた相手も周りで見ていたものも、意外な成り行きに、キョトンとした表情で口を開いたまま、一瞬時間が止まった。《あかんよ、けんかしたら…。》愛の京都弁の一言で、喧嘩は治まった。
謙一には、愛からの、その喧嘩仲裁の報告はなかったが、殴られた若い衆の親方が謝ってきたので、翌日に判った。そのことを謙一は、愛に対して何も言わなかった。若い職人たちは愛のことを、尊敬を込めて“姐さん”と呼ぶようになった。
愛が朝、皮のつなぎを着てバイクで颯爽と現場に乗りつけると、若い連中がいっせいに“おはようっす”と挨拶をする。愛もヘルメットを外しながら、《おはよう!》と元気よく挨拶を返す。現場の雰囲気に、刺々(とげとげ)しいものがなくなった。
その日は、駐車場のことで、外構工事を担当する親方から使用する材料の問い合わせがあった。謙一は、忙しかったので、愛に電話で材料の件を連絡するように指示した。「砕石はリサイクルでいいけど、合材はバージン(未使用)を使うように言っとけ!」
《え、バ、バージンですか?》愛は土木の事はほとんど知らない。いつもは物怖じしないで何でも訊いてくる愛が、珍しく、恥しげに《あの、所長、バージンって何ですか?》その訊いてきた様子が可笑しくて謙一は、噴出した。愛は、ムッとした表情で《どうして、可笑しいんですか?》と絡んできた。謙一は必死に笑いを堪えようとしたが、我慢できなかった。
この前の事だが「ネコもってこい!」と言ったら、近所から猫を捕まえてきた。ネコとは“一輪車”のことなのだ。「いいから、親方にそう言え、そう言えば分かるから。」愛は、ふくれっつらをしながら電話を掛けた。後で、土木用語辞典を引いたが載っていなかったらしいが、もう一度、謙一に訊こうとはしなかった。おそらく実花にでも電話で訊いたのであろう。
その夜、帰宅すると妻の琴美が、
『パパ、愛ちゃんにセクハラしちゃダメよ!……』
「なに、言ってんだよ。そんなことしてないよ…。」
『体を触るだけじゃなくて、言葉のセクハラもあるのよ。』
謙一は、琴美の云っている意味が解らなかったが、それがあの“バージン合材”の話だと判り、また可笑しくなった。そのことは実花から琴美に電話があり、それを聞いたのが土木用語を知らない琴美だから、話はややこしくなる。とうとう、セクハラ事件になってしまった。
『明日は現場、お休みでしょ?』
「うん、休みだよ。」
『あのね愛ちゃんにも、来るように言ってあるから、三人で呑みましょう。』
「呑みましょって、おまえ、コップ一杯で酔っ払うのに、よく言うよ。」
そんな会話をしている時に、丁度、愛がバイクでやってきた。
《こんばんは!》
『あ、いらっしゃい~、あがって。』
愛はちょっとしたバックを持参していた。琴美から泊るように言われていたのである。謙一は何だか琴美のペースになっているのを怪しんだ・・・。
2014/12/05
伊藤氏の別邸はいよいよ仕上げの工程に入っていた。6カ月掛かったことになる。つまり、実花(みか)がいなくなってから半年ということだ。謙一も、新入社員の愛には実花の代わりは無理だろうとは思ったが、そうは言っても人手が足りないので、仕方なく、愛を現場に連れて行くようになった。雰囲気に慣れさせようと云う程度のつもりだった。
ところが順応性があるというのか、愛は直ぐに雰囲気に溶け込んだ。謙一にとっては意外だったが、彼女の履歴書に“特技・空手二段”とあることに気がついた。男の中にいるのは子どもの頃から慣れていたのである。
実花ほど仕事のことは解らないが、教えると呑みこみは早い。それに、何かあると職人や親方連中にでも平気で訊いていく。色白のぽっちゃりした可愛い娘から訊かれて、気分の悪い男はいないだろう。職人たちは競って彼女に教えたがった。
面白いことに、愛は、自分でもよく解っていないのに、図面と見比べながら相違点を見つけると《親方、これではあかんやないの……。》と、京都弁でやるのである。京都弁独特のイントネーションで言われると、ずばり言われても、関東の人間には、あまり、きついことを言われたと云う感じはしないものだ。現場での存在感と云う意味では、愛は、立派に実花の代わりを務めていた。
謙一の現場では、出入りの親方たちも馴染みの人がほとんどなので、現場でのトラブルは全くといってよいほど起きたことがない。ところが珍しく、若い職人同士が、ちょっとしたことで触発寸前の状態になったことがあった。親方連中が傍にいればよかったのだが、生憎、若い者だけが集まっていたので、止めに入る者もいなかったのである。
そのとき、通りかかった愛が《止めなさいよ!》と、止めようとした。が、茶髪の兄ちゃんが「うるせえ、女の出る幕じゃねえ、引っ込んでろ!」と、愛を一喝した。愛の顔が、キッとなった。表情の判りやすい娘である。
愛は、その茶髪の兄ちゃんのところへ歩み寄ると、横っ面をバシッと張り倒した。殴られた本人も、喧嘩していた相手も周りで見ていたものも、意外な成り行きに、キョトンとした表情で口を開いたまま、一瞬時間が止まった。《あかんよ、けんかしたら…。》愛の京都弁の一言で、喧嘩は治まった。
謙一には、愛からの、その喧嘩仲裁の報告はなかったが、殴られた若い衆の親方が謝ってきたので、翌日に判った。そのことを謙一は、愛に対して何も言わなかった。若い職人たちは愛のことを、尊敬を込めて“姐さん”と呼ぶようになった。
愛が朝、皮のつなぎを着てバイクで颯爽と現場に乗りつけると、若い連中がいっせいに“おはようっす”と挨拶をする。愛もヘルメットを外しながら、《おはよう!》と元気よく挨拶を返す。現場の雰囲気に、刺々(とげとげ)しいものがなくなった。
その日は、駐車場のことで、外構工事を担当する親方から使用する材料の問い合わせがあった。謙一は、忙しかったので、愛に電話で材料の件を連絡するように指示した。「砕石はリサイクルでいいけど、合材はバージン(未使用)を使うように言っとけ!」
《え、バ、バージンですか?》愛は土木の事はほとんど知らない。いつもは物怖じしないで何でも訊いてくる愛が、珍しく、恥しげに《あの、所長、バージンって何ですか?》その訊いてきた様子が可笑しくて謙一は、噴出した。愛は、ムッとした表情で《どうして、可笑しいんですか?》と絡んできた。謙一は必死に笑いを堪えようとしたが、我慢できなかった。
この前の事だが「ネコもってこい!」と言ったら、近所から猫を捕まえてきた。ネコとは“一輪車”のことなのだ。「いいから、親方にそう言え、そう言えば分かるから。」愛は、ふくれっつらをしながら電話を掛けた。後で、土木用語辞典を引いたが載っていなかったらしいが、もう一度、謙一に訊こうとはしなかった。おそらく実花にでも電話で訊いたのであろう。
その夜、帰宅すると妻の琴美が、
『パパ、愛ちゃんにセクハラしちゃダメよ!……』
「なに、言ってんだよ。そんなことしてないよ…。」
『体を触るだけじゃなくて、言葉のセクハラもあるのよ。』
謙一は、琴美の云っている意味が解らなかったが、それがあの“バージン合材”の話だと判り、また可笑しくなった。そのことは実花から琴美に電話があり、それを聞いたのが土木用語を知らない琴美だから、話はややこしくなる。とうとう、セクハラ事件になってしまった。
『明日は現場、お休みでしょ?』
「うん、休みだよ。」
『あのね愛ちゃんにも、来るように言ってあるから、三人で呑みましょう。』
「呑みましょって、おまえ、コップ一杯で酔っ払うのに、よく言うよ。」
そんな会話をしている時に、丁度、愛がバイクでやってきた。
《こんばんは!》
『あ、いらっしゃい~、あがって。』
愛はちょっとしたバックを持参していた。琴美から泊るように言われていたのである。謙一は何だか琴美のペースになっているのを怪しんだ・・・。
2014/12/05
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