名D『10年目の愛』 VOL1
名D『10年目の愛』 VOL1
(原題:妻にスイートテン 原作者:ジュエリー 投稿日:2007/05/28)
私の名前は古沢祐一(ふるさわ・ゆういち:36歳)、妻の名前は古沢愛(ふるさわ・あい:34歳)、今年がちょうど結婚10年目。その10周年目の結婚記念日(スイート10)に妻へプレゼントをした。ただし、それは物ではなく、若い男性です。
私は大学を卒業して旅行代理店に入った。元来の旅行好きで、会社ではツアープランナーを担当する。そして2年後に入社してきたのが君原愛(きみはら・あい:22歳)だった。愛は研修後、受付カウンターに座り、お客様に商品の説明、問い合わせに笑顔で接していた。そんな笑顔の素敵な愛を積極的に食事や映画に誘い、交際半年でのスピード結婚に持ち込む。
それから10年、私と愛にはいろいろなことがあった。愛はまだ仕事がしたそうだったが、私が専業主婦になることを望み、愛は素直に従ってくれた。仕事で遅くなっても、寝ずに待っていてくれる。子供が出来なかったから、余計に二人はアツアツの結婚生活を送っていた。
しかし、そんな日が長く続かなかった。結婚をして5年がたった頃、私が交通事故に合ってしまう。結果、私は右足を切断、腰も強く打ったため下半身が麻痺をした。事故の後遺症は肉体だけでなく心に、むしろ精神面の打撃が大きかった。「人生から脱落した。」その思いで何もかもが嫌になる。
脱落したのはもうひとつ。男としての存在価値だった。妻を抱くことが出来なくなる。医者が「下半身の麻痺は残念ながら回復をする可能性は低い。」と告げられた。私は愛に離婚を申し入れた。でも愛は、『なに言っているの、これからも二人でがんばろう。』と言ってくれた。それに不幸中の幸いと言うか事故の慰謝料と保険が支払われたので、当面の生活は保障される。
4カ月の入院とリハビリを経て退院。入院中は愛の励ましで、私はリハビリや車椅子の練習にがんばることが出来た。漸(ようや)く外に出ていく勇気が湧いてきて、自動車運転の適性検査も受け、車の運転補助装置も設置した。
そして、前向きになる気持ちが仕事をしようというヤル気を起こした。会社からは事務職の転部を勧められたが、その申し出は断り退社をする。私は今までの経験を生かし、車椅子でも出来る仕事、トラベルプランナーを立ち上げた。これだったら、家に居ながら電話とパソコンで出来るのである。
でも、ひとつ気になるのが妻の愛のことだった。いつだったか、妻は知らないが偶然に妻のオナニーを見てしまった。今まで自分のことばかり考えてきて、妻のことは良くできた家政婦のようにしか思ってみなかった。妻も女性なのだ。そう考えると、どうしていいかわからなかった。
自分の男性自身を触っても、感覚はあるが硬くなる様子はまったくなかった。これでは妻の愛を満足させられない。そこで私は今年の結婚10周年を期に、妻に若い男性をプレゼントすることを思いついた。期間は1カ月、この家に一緒に住んでもらい10年前のように、愛と新婚生活をしてもらうのだ。当然のごとく、妻の愛は猛反対し、一時は口も聞いてくれなかった。しかし、私は熱心に説得した。
「ひょっとしたら、刺激で俺の物も治るかもしれない。」などと、見え透いた嘘も言ってみた。そして、ようやく妻が渋々だがOKをしてくれた。それから私はサイトで若い独身男性を探してみる。応募はたくさんあったが、大抵は興味本位で、中には「1カ月と言わず、ずっと抱いてやってもいいぞ。」と言う既婚者もいた。そのなかで私がピンと来た人がいた。我が家から1時間ほどのところに住んでいる自動車修理工で名前は、立山英樹(たてやま・ひでき:22歳)だった。 VOL2へ続く
2014/10/22
(原題:妻にスイートテン 原作者:ジュエリー 投稿日:2007/05/28)
私の名前は古沢祐一(ふるさわ・ゆういち:36歳)、妻の名前は古沢愛(ふるさわ・あい:34歳)、今年がちょうど結婚10年目。その10周年目の結婚記念日(スイート10)に妻へプレゼントをした。ただし、それは物ではなく、若い男性です。
私は大学を卒業して旅行代理店に入った。元来の旅行好きで、会社ではツアープランナーを担当する。そして2年後に入社してきたのが君原愛(きみはら・あい:22歳)だった。愛は研修後、受付カウンターに座り、お客様に商品の説明、問い合わせに笑顔で接していた。そんな笑顔の素敵な愛を積極的に食事や映画に誘い、交際半年でのスピード結婚に持ち込む。
それから10年、私と愛にはいろいろなことがあった。愛はまだ仕事がしたそうだったが、私が専業主婦になることを望み、愛は素直に従ってくれた。仕事で遅くなっても、寝ずに待っていてくれる。子供が出来なかったから、余計に二人はアツアツの結婚生活を送っていた。
しかし、そんな日が長く続かなかった。結婚をして5年がたった頃、私が交通事故に合ってしまう。結果、私は右足を切断、腰も強く打ったため下半身が麻痺をした。事故の後遺症は肉体だけでなく心に、むしろ精神面の打撃が大きかった。「人生から脱落した。」その思いで何もかもが嫌になる。
脱落したのはもうひとつ。男としての存在価値だった。妻を抱くことが出来なくなる。医者が「下半身の麻痺は残念ながら回復をする可能性は低い。」と告げられた。私は愛に離婚を申し入れた。でも愛は、『なに言っているの、これからも二人でがんばろう。』と言ってくれた。それに不幸中の幸いと言うか事故の慰謝料と保険が支払われたので、当面の生活は保障される。
4カ月の入院とリハビリを経て退院。入院中は愛の励ましで、私はリハビリや車椅子の練習にがんばることが出来た。漸(ようや)く外に出ていく勇気が湧いてきて、自動車運転の適性検査も受け、車の運転補助装置も設置した。
そして、前向きになる気持ちが仕事をしようというヤル気を起こした。会社からは事務職の転部を勧められたが、その申し出は断り退社をする。私は今までの経験を生かし、車椅子でも出来る仕事、トラベルプランナーを立ち上げた。これだったら、家に居ながら電話とパソコンで出来るのである。
でも、ひとつ気になるのが妻の愛のことだった。いつだったか、妻は知らないが偶然に妻のオナニーを見てしまった。今まで自分のことばかり考えてきて、妻のことは良くできた家政婦のようにしか思ってみなかった。妻も女性なのだ。そう考えると、どうしていいかわからなかった。
自分の男性自身を触っても、感覚はあるが硬くなる様子はまったくなかった。これでは妻の愛を満足させられない。そこで私は今年の結婚10周年を期に、妻に若い男性をプレゼントすることを思いついた。期間は1カ月、この家に一緒に住んでもらい10年前のように、愛と新婚生活をしてもらうのだ。当然のごとく、妻の愛は猛反対し、一時は口も聞いてくれなかった。しかし、私は熱心に説得した。
「ひょっとしたら、刺激で俺の物も治るかもしれない。」などと、見え透いた嘘も言ってみた。そして、ようやく妻が渋々だがOKをしてくれた。それから私はサイトで若い独身男性を探してみる。応募はたくさんあったが、大抵は興味本位で、中には「1カ月と言わず、ずっと抱いてやってもいいぞ。」と言う既婚者もいた。そのなかで私がピンと来た人がいた。我が家から1時間ほどのところに住んでいる自動車修理工で名前は、立山英樹(たてやま・ひでき:22歳)だった。 VOL2へ続く
2014/10/22
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